Nobody's 法務

略称は「ノバ法」。知財、個人情報、プライバシー、セキュリティあたりを趣味程度に勉強している元企業ホーマーのまとまりのない日記。あくまで個人的な見解であり、正確性等の保証はできませんので予めご了承くださいませ。なお、本ブログはGoogle Analysticsを利用しています。

音楽教室事件知財高裁判決をざっと読んだ簡易メモ

音楽教室事件知財高裁判決をざっと読んでみました。

 

判決文へのリンク:

知財判決

地裁判決

 

詳細な考察は今後でてくる判例評釈に委ねる(楽しみにしております!)として、個人的に興味深い点をいくつかメモ。

 

1.カラオケ法理の限界?

判決をザックリ2行にまとめると

  • 教師による演奏⇒演奏権侵害(演奏主体が音楽教室で生徒が公衆に該当)
  • 生徒による演奏⇒非侵害(演奏主体が生徒なので自分自身への演奏は非公衆)

と理解しました。

地裁がいわゆるカラオケ法理(規範的主体論)で音楽教室側をザックリ演奏の主体と判断して侵害を肯定したのに対し、ケース分けして演奏主体を検討して一部非侵害と判断する、というのは近年のカラオケ法理の適用例では珍しい気がします(自分が無知なだけかもしれません)。

「基本は侵害やけど、細かくケース分けして検討したら非侵害とすべきときもあるよなぁ」といったところなのでしょうか。

では、これを「カラオケ法理の限界点をみた」とまで言ってしまっていいのでしょうか。

たしかに、「利用行為の詳細等を細かく検討分析してあてはめ方を考えれば、カラオケ法理であっても非侵害に持っていける部分がある」というのが明確になった判決といえるかもしれません。

ただ、(これは法クラの皆様のご意見をお聞きしたいところですが、)そう言うのは時期尚早な気がしています。まだ最高裁という最終ラウンドも残ってますし。(当事者双方とも上告済み)

 

と書いたところで、ロクラクⅡ事件とまねきTV事件が知財高裁で判断が分かれて、最高裁でどちらも侵害と判断となったことをふとを思い出しました。

いや、特に意味はないですよ。なんとなく。

 

2.30条の4について

そのほか、個人的に興味深かったのは判決内において30条の4(非享受利用)に関して触れられている点です。これは「自称:30条の4(旧47条の7)大好きっ子」の一人として見逃せません。

音楽教室側が、演奏権(22条)における「聞かせることを目的」の解釈において、

➀30条の4を参酌せい

音楽教室での教師の演奏は非享受目的や(享受目的ちゃうねん)

という趣旨(kanekoのザックリ解釈に基づく)の主張をしています。

※抗弁として30条の4を主張しているわけではないようです

平成30年改正時に「音楽教室事件はひょっとしてひょっとしたら30条の4でいけるんじゃね?」という意見が少数ながらあったと個人的に記憶しているのですが、結果としては地裁、高裁はともに以下のように非享受目的を否定(=間接的に30条の4の適用を否定)しています。

 (下線はkanekoによる。)

 

(1)地裁判決

著作権法22条と30条の4第1号とは,その目的,趣旨,規律内容を異にする条項であり,同法30条の4第1号の規定の趣旨又はその文言を参酌して,同法22条の「聞かせることを目的」とするとの文言の意義を解釈すべき合理的な理由はない。
また,著作権法30条の4の立法担当者の解説(乙44)においては,漫画の作画技術を身に付けさせることを目的として,民間のカルチャーセンター教室で購入した漫画を手本として受講者が模写する行為につき,その主たる目的が作画技術を身に付ける点にあるとしても,一般的に同時に「享受」の目的もあるとされていることは,被告の指摘するとおりであって,音楽教室における演奏の目的が演奏技術の習得にあるとしても,同時に音楽の価値を享受する目的も併存し得る

 

(2)知財高裁判決

「聞かせることを目的」とするとの文言の趣旨は,・・・(中略)・・・演奏が行われる外形的・客観的な状況に照らし,演奏者に「公衆」に演奏を聞かせる目的意思があったと認められる場合をいい,かつ,それを超える要件を求めるものではないと解するのが相当であるし,また,「著作物に表現された思想又は感情を自ら享受し又は他人に享受させることを目的」としない場合に著作権の制限を認める著作権法30条の4に留意したとしても,音楽教室における演奏の目的は,演奏技術等の習得にあり,演奏技術等の習得は,音楽著作物に込められた思想又は感情の表現を再現することなしにはあり得ず,教師の演奏も,当該音楽著作物における思想又は感情の表現を生徒に理解させるために行われるものというべきであるから,著作物に表現された思想又は感情を他人に享受させる目的があることは明らかである。したがって,上記①の主張を採用することはできない。
そして,音楽教室における教師の演奏が当該教師の本来の演奏とは異なるなどの事情があるとしても,上記のとおり,著作物に表現された思想又は感情を生徒に享受させる目的があることには変わりなく,このようなことが不可能なように繰り返しレッスンすることなどあり得るはずもないから,上記②の主張は,失当というほかない。

 

 文化庁の柔軟な権利制限規定のガイドラインデジタル化・ネットワーク化の進展に対応した柔軟な権利制限規定に関する基本的な考え方)も踏まえるとまぁそうなるよなぁと思うところではありますが、しっかり判決で言及してくれているのは興味深いです。